ボーンチャイナの歴史
ボーンチャイナは18世紀にイギリスで誕生しました。当時イギリスでは他の欧州諸国のような白い磁器が作れず、試行錯誤した結果、ボーンチャイナが発明されたのです。日本でボーンチャイナが作られるようになったのはそれからさらに100年後。その長い経緯にはどのようなドラマがあったのでしょうか。この記事では、ボーンチャイナの始まりと日本での歴史について解説します。
<この記事の目次>
磁器がヨーロッパにやって来た!
中国を起源とする白磁は、景徳鎮で1000年頃から盛んに作られるようになりました。磁器の製法が知られていなかったヨーロッパでは、17世紀の大航海時代に中国磁器が大量に入って来るようになります。18世紀初頭にはザクセン王国(現ドイツ)のベドガーがヨーロッパで初めて磁器の生産に成功し、マイセン王立磁器工場が設立されました。以降、磁器はウィーン、ヴェネチア、フィレンチェ、コペンハーゲン、ペテルスブルグなどヨーロッパ各地で作られるようになりました。
ボーンチャイナ誕生
こうしたヨーロッパ大陸の変化に遅れたのがイギリスでした。大陸と海を隔てた地理的条件に加え、カオリン鉱がなかなか発見されなかったこともあり、イギリスの陶工たちは磁土、陶石の不足を補うために、さまざまな工夫を凝らしていました。そのひとつが動物の骨灰を原料に混ぜたボーンチャイナです。この技法は1748年に発明されましたが、当時の製品は粗悪なものでした。1805年頃にこれを改良し、品質を高めたのがジョサイア・スポード2世です。通常の磁器よりも透光性に優れ、鮮やかな絵付けができるボーンチャイナは英国王室の庇護を受けるようになり、発展していきました。
日本製ボーンチャイナ、ついにデビュー
日本では1895年、瀬戸窯業学校(現瀬戸窯業高校)がボーンチャイナの試作に成功し、1932年に日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)がボーンチャイナを商品化しました。しかし当時はごく限られた量しか生産できませんでした。ついに1965年、鳴海製陶が日本で初めてボーンチャイナの量産化に成功します。「ボーンチャイナに手を出すと会社はつぶれる」とまで言われていた当時、素地で200点、釉薬で400点以上の試作を繰り返した末の偉業達成でした。
まとめ
ヨーロッパへの磁器の伝播からボーンチャイナの誕生・発展を年表にまとめたのがこちらです。
- 1000年頃 中国・景徳鎮で白磁の生産が盛んになる
- 1600年頃 大航海時代。中国磁器がヨーロッパに大量に入って来るようになる
- 1708年 ザクセン王国(現ドイツ)のベドガーがヨーロッパ初の磁器生産に成功
- 1748年 イギリスのトーマス・フライがボーンチャイナを発明
- 1805年 ジョサイア・スポード2世が品質の高いボーンチャイナを開発
日本では・・・
- 1895年 瀬戸窯業学校(現瀬戸窯業高校)がボーンチャイナの試作に成功
- 1932年 日本陶器(現ノリタケ)がボーンチャイナを商品化
- 1965年 鳴海製陶がボーンチャイナを量産化
ヨーロッパに中国磁器が大量に入るようになってから、ヨーロッパで磁器が生産できるようになるまでに約100年。
ヨーロッパで磁器が生産できるようになってから、ボーンチャイナが生産できるようになるまでにも約100年。
ヨーロッパでボーンチャイナが生産できるようになってから、日本で生産できるようになるまでにも約100年。
ボーンチャイナは長い間試行錯誤を繰り返して発展してきたことがわかります。
生産設備や技術は当時から進歩しているものの、ボーンチャイナの製造に高度な技術が必要なことは今も変わりません。だからこそ、200年前も今もボーンチャイナは最高級磁器と呼ばれているのです。
ボーンチャイナの特徴や製造工程については他の記事で詳しく解説していますので、そちらもぜひお読みください!